石鍋てるみです。
子どもができた途端に
私が変化を感じたのは
自分自身の立場。
それまでにも、
結婚で苗字が変わった時も
それを経験はしていました。
周囲から、「石鍋さん」って
声をかけられることに
慣れるまで時間を少し要しました。
この時も、看護研究など当然
旧姓で発表していましたから
なんだか、それまでの実績が
全てなくなってしまうような感覚になって
しばらく、旧姓への執着が続いたのを
記憶しています。
大した実績はないのにも関わらず
そんな気持ちが湧くことに
自分でも考えてなかった出来事でした。
旧姓でいた時の自分が
なくなるような感覚。
アイデンティティが
崩れていくという感じで
それまでの自分を一部
変えていくような感じです。
それが、子どもができてしばらくしてから
周囲から名前さえも呼ばれなくなったことで
さらに違和感というか
自分ってなんなんだろうって
考える時期がありました。
私には名前があるのに
周囲からは
「〇〇ちゃんママ」
「お母さん」「奥さん」
そんなふうにしか呼ばれなくなったのです。
始めは、「〇〇ちゃんのママ」って
呼ばれることに、嬉しい気持ちもあったのですが
育休中などは一度も名前を呼ばれることもなく
いつも、誰かにくっついてる自分としか
存在していないような気がしていました。
そう思ってから、自分という存在について
時々考えるようになりました。
みんな、自分の中に、自分のイメージを
作って持っています。
アイデンティティ。
それは、固定されるものでも、
制限されるものでもないと思います。
けれども、この時の私は
母親、妻、嫁という立場の自分が中心にあって、
本来の自分はいなくなっていました。
このアイデンティティを作り出す時に
こうすべきだという思い込みの上に作ったので、
本当の自分の気持ちを考慮していませんでした。
だから、母親、妻、嫁でいる時間が長いほど
自分が押し殺されていますから
苦しい気持ちになることが
増えてしまったのだと思います。
自分らしくいられる場所
自分というアイデンティティを
もう一度取り戻すことを考えました。
そして、それは私にとっては、
看護師という仕事をすることが
自分を取り戻せる時間でした。
この時間がなくなったら、
いつも自分の好きなことができないという
不満足な思いは募ってしまったと思います。
「育児と仕事の両立は大変でしょ。」
「ゆっくり育児していたらいいんじゃない」と
よく言われたものですが、
私にとっては、仕事をすることが
自分に返ることで
これ無くしては育児は続けてこれなかったと
思うのです。
私には、育児に専念することは
できなかったいうのが本音です。
もしも、頑張って専念していても
きっと、楽しく育児はできなかったと思います。
仕事場では、自分の名前を呼んでくれます。
私自身を認めてくれている大事な場所でした。
人によって、自分を実感できる居場所は
違っています。
それが、家庭や職場だったり、
第三の場所かもしれません。
自分の本音に寄り添った場所を確保して
自分らしくいられる場所を作り続けていけば
あなたなりの育児ができ、
自分を大事にした生活ができると思います。
育児に大事なのは、お母さんが
機嫌よく笑顔でいることです。