コミュニティーナースの石鍋てるみです。
先日、友達のお母様がお亡くなりになりました。
すでに、施設に入居されていて
徐々に覚悟はされていた状況ではあったのですが
いつものように面会に行った先で危篤となり
そのまま、旅立たれたそうです。
家族、みんなが、まだ意識がある間に
全員会うこともできたし
みんなが来れる日を選んだような
タイミングだったねと
見送った後に残されたご家族が
満足されたお別れだったとのこと。

自分で死ぬ時って選べるのであれば
こんなふうに家族が満足して見送ってくれるような
最後の日を選びたいなと思いました。
このお母さんは
大学への献体の意思表示をされていたので
程なく、献体として引き取りがきて
遺体は運ばれていったようです。
献体とは、医学 ・ 歯学の大学における
解剖学の教育 ・ 研究に役立たせるため、
自分の遺体を無条件 ・ 無報酬で提供することをいいます。
火葬や葬儀もすぐにすることもないので
みんなでお見送りし
あとは、骨になって手元に戻ってくるまで
しばらくお別れだそうです。
一般的な最後とは違う形です。
献体提供については
家族の中でも納得ができない方もいたと伺っています。
遺体に、さらに傷がつくような
晒されるような気持ちが
受け入れられないという方もいたようです。
自分たちは辛くても、
本人の意思を大事にしたいという
家族もいたようです。
ご本人の認知力があやふやになった時には
その判断に話し合いが重ねられたようですが
最終的には本人の意思を尊重することに
意見がまとまり
献体することになったようです。
献体・臓器提供という形を選ぶ人を
私もこれまで何人か見てきました。
看護学生の時には
その献体で学ばさせてもらった立場でもあります。

たくさんのご遺体が並ぶ部屋で
グループに分かれ、私たち看護学生は
解剖学を学びました。
私は、腕神経叢を実際に目にして
記録したり、教科書と照らし合わせたという
記憶があります。
亡くなった後からも
医学の役に立ててもらいたいという
献体される方の意思に感謝した思いが
記憶から蘇りました。
献体する方が高尚だとか
そういう見方はありません。
その方の死生観や
残された人への思いやりの形一つでも
価値観も変わります。
私もこの頃、終活について
考えたりすることが増えてきて
自分が死んだ時のことを少しでも
家族に迷惑にならないようにと
お金のことや身の回りの片付けに
気を取られていました。

でも、今回のこのお母様の亡くなったお話の中で
もう一つ大きな意思決定が
必要だと考えるきっかけになりました。
献体についても
もう一度よく調べてみようと思いました。
臓器提供の意思表示は
健康保険証に記入したことはあるのですが
もしも、使える臓器があるなら
役立てて欲しいなと
簡単に考えていたような気がします。
今の時点でもう一度、
よく考えて決めておこうと思います。
