石鍋てるみです。
人が幸せを感じるのは
どんな時でしょうか。
自分もそうですが
誰でも人は幸せを感じて生きたいと
願っていると思います。
いつも、考えていなくても
何かを選択する時に
今よりもっと良くなりたいと
思って選んでいると思います。
幸福感という言葉は
大きく分けると、心地よいとか満ち足りているという
「穏やかな感覚」と、
より望ましいことや良いことを行っているという
「達成感」に当たる感覚に分かれるとされています。
幸福はお金や学歴では買えないといわれます。
でも、お金や学歴で少なくても
感じなくて済む不幸はありますから
その国で最低必要な程度は
あったほうがいいとは思います。
実際、お金がないことで
毎日の食べ物に苦労している人は
幸せかといえば、疑問を持つでしょう。
でも、その人がそのことに困り感がなければ
それは不幸な状態ともいえないわけです。
孤独に引きこもって暮らしている
高齢者を見た時に、
周囲から見れば幸せには見えません。
でも、その人がそのことを
孤独感を感じることなく
その人なりに生活し満足していて
困っていないのであれば
不幸ではないのです。
決して恵まれていない状況であっても
その状況をどのように感じ取っているのかは
その人自身の内面の捉え方次第で
不幸だとはいえないし、
その人にとってはそれが幸せなのかもしれません。
独居生活をしている高齢者のご自宅に
訪問看護をしていたときのことですが
Aさんは、住居も整って生活も裕福な方
Bさんは、押し入れを開けると
外が見えるようなところにお住まいでした。
このお二人は一人暮らし。
周囲から見れば
Bさんの方が悲惨な生活に見えて
不幸せそうに見えました。
でもBさんは、生活への不満は訴えることもなく
贅沢ではありませんがお一人での生活を
楽しんで過ごしていました。
近所の方やお友達が
時々顔を出して声掛けしてくれていて
そのことを感謝していると
いつも話してくれます。
一方のAさん。
同じ敷地に長男の家族が住んでいるのですが
全く交流がないということ。
私たちのような介護職員が訪問することも
迷惑そうです。
長男夫婦や、ヘルパーの悪口が絶えません。
今の生活に文句が絶えない方でした。
Aさんの方が環境的には恵まれているのに
幸せとは程遠いという印象でした。
Bさんはいつも微笑みを浮かべて
幸せそうに見えました。
独居=孤独ではないと感じた経験です。
一見恵まれた環境にいたとしても
そんな、中にいるから
さらに孤独を感じてしまうこともありそうです。
Aさんは孤立していました。
周囲の人たちを受け入れられないくらい
心が閉ざされていました。
デイケアなども拒否。
人と関わること自体が面倒だと言っていました。
孤立ゼロ作戦という活動が
いろんな支援が始まっていますが
その多くが、サークルやイベントへの参加など
なんとか社会参加してもらおうとか
支援者と繋がろうという働きかけが
多いように思えます。
そのような支援は、Aさんには苦痛でしかありません。
そして、Bさんは今の形でも
幸せだと感じられていますから、
必要ないのかもしれません。
単に一人暮らしだからということで
必ずしも社会参加を促さなくても
その人なりの幸せの形を支え、見守るような
静かな支援も有効だと思えるケースです。
どちらのケースから見えてきたのは
人の幸せは人がもたらすということです。
人との関わりが閉ざされてしまうと
幸福感は感じられなくなるということです。
些細な人との交流を楽しめる気持ちを
持ち続けられれば
人は幸せを感じられるのではないかと思うのです。
近所の人に挨拶をして
気持ちよく返されたというだけでも
心が満たされます。
赤ちゃんと過ごすことで
幸せを感じることもできます。
このような、小さな気持ちの充足感が
幸せな感覚だと思うのです。
幸せになりたいのなら、
自分から、人に興味を持って
関わってみることが
一番の早道だと思います。