石鍋てるみです。
昨日は、ケアセンターで
ゴスペルを歌ってきました。
高齢者施設に呼ばれる機会は
多かったのですが、
コロナ禍では、感染対策の面から
伺うことが減ってしまっていました。
施設によってはまだ外部の人との交流や
面会自体も厳しい管理下に
あるところもあるようです。
私の知人は、親を施設に預けているものの
面会が週に1回15分の予約制で、
車椅子に乗せられた本人が面会室に来て、
ガラス越しに話すだけということで
寂しい思いをしているようです。
自宅での介護ができないため
施設に預ける決断をしたのですが
これでいいのかといつも帰宅時に
考えるそうです。
人生の最後の時間を
家族にも会うことができず
大事な話もできないで暮らすことが
果たして幸せなのか?
かといって、自分では
面倒は見れないという現実。
介護って本当に難しい問題です。
昨日待合室として案内されたのが
ご利用者用の個室でした。
病室と同様の作りで
綺麗なお部屋でしたが
窓は少ししか開かないし、
エレベーターや階段口も
スタッフの暗証番号がないと
開けられないシステムになっていました。
確かに、危険防止と安全に
管理するという点では
大事なのかもしれません。
でも、もし自分がここで死ぬ間際に
生活する場所としては
選びたくないなと思ってしまいました。
スタッフの方々は優しく丁寧でしたし
ここでの生活が当たり前になってしまえば
慣れてしまうのかもしれません。
でも、私は、可能な限り自由に過ごしたい。
好きな時間に、好きなことをできる。
いろんな人と毎日会って
いつも誰かか会いに来てくれる。
そんな老後の生活を夢見ています。
昨日、ホールで歌っているときに
窓の外ではキッチンカーが販売していて
そこに、子どもや若者も
買いに来ているのが見えました。
少し窓を開けていたので
私たちの歌声も聴こえているようで
外からニコニコ覗いて見てくれていました。
このホールと外を区切っている
この窓がもっと
大きく開いていたらいいいのに。
この中にいるお年寄りの横に座って
一緒に子供たちも
歌を聞いてくれたらいいのにって思いました。
安全管理も大事ですが
自然に多世代交流が生まれるような
オープンな環境がもっと必要だと感じています。
人とのつながりがあることが
一番の安全管理だと思うのですが
いかがなものでしょうか?
私たちの歌は、
プロのように上手くはありませんが
会場ではいつも、涙して聞いてくれる人たちが
数名現れます。
一緒に歌ってくれる人や
手を振ってくれる人
そんな人たちの笑顔を見るだけで
ゴスペルを歌えて幸せだなって思えます。
少しでも、私たちの歌に
喜んでくれて、感動してくれる人が
目の前にいらっしゃることが
私たちのエネルギーにもなっています。
音楽って、その場の空気感を
ものすごく変化させる力を持っています。
日常の空気の変化を
体感してもらえる心が自由になれる時間を
少しでも感じてもらいたいので
このような慰問は
これからも続けていきたい活動です。