石鍋てるみです。
関東は昨日梅雨入りしましたね、
昨夜から雨が続いています。
台風3号も発生しています。
先日の雨で被害があった地域の
始末も終わらないうちに
また大雨の予報です。
被害に遭わないように逃げたいものですが
注意できることをやりつつ
祈るしかないです。
私は、身の回りの出来事は
自分の力ではどうにもならないことばかりだと
歳を重ねるごとに
感じることが多くなってきました。
自分が頑張ればなんでもできるはず
できないのは、自分の力が足りないからだと
考えていたのが若い頃でした。
今思うと、その考え方が身についたのは
学校での成績を良くするためには
人よりも努力すれば、それが叶うんだと
教え込まれていたからかなと思います。
自分が人よりも努力をすれば
今よりもいい点数が取れるようになるはず。
それができないのは
まだ努力が足りないからだと
言われているような気になっていたと思うのです。
でも、世の中はそうはできていませんよね。
努力しても、自分の思うようにならないことの方が
多いのではないでしょうか?
人は生まれてくる時代一つ
自分ではコントロールできませんし
育つ環境だってそうです。
災害に遭いたくなくても
たまたまそこに居合わせたことで
遭ってしまいます。
自分のこともコントロールできないのですから
まして他人のことなんて
自分の思い通りにしようなんて
無理なことで、できたら奇跡です。
ある人が、こんな悩みを打ち明けてくれました。
思春期に入った子どもが
学校に行ってくれないし
自分と口も聞いてくれなくなった。
ちょっと、話しかけただけで
不機嫌な態度をとるし
日に日に派手な服装になって
小さいころとまるで別人になってしまった。
どうしたら、あの頃のような
素直な子になってくれるのか
何をしたらいいのかわからないと。
それまでの親子関係の中で
どこかで、歯車が噛み合わなくなって
しまったのかもしれません。
子どもの持つ歯車と親が持つ歯車は
一緒に並んで動いているようですが
それぞれ違うリズムで回り始め
歯の種類も変わっています。
外れかけた時に、
もう噛み合わなくなっていることに
薄々気がつきながらも、
お互いに調整しようとせず
いつまでも親は同じ自分の歯車に
噛み合わさせようと
必死になったことで、
とうとう外れてしまったのでしょう。
どうして、この親の気持ちを
子どもはわかってくれないのかという思いが
ひしひしと会話の中から伝わってきます。
子どもが自分から離れてしまうことは
とても、不安ですし、怖いことです。
まして、自分の思い描いていたように
なってくれていない子どもに対しては
不信感しかありません。
こんな状態でこの子は大丈夫なのかと
どうにか、自分の思う安心領域にまで
引っ張り込もうとしてしまうのです。
親の子どもを心配している気持ちが
子どもには自分を信じられていないと伝わり
また、コントロールされると警戒心が働きますから
そうなりたくないと子どもは必要以上に
反抗し離れていくわけです。
親が安心できる状態になることが
子どもの望む生き方とは限りません。
子どもが思春期に入って
自分の道を進んでいこうとする時には
その方向性は子ども自身が選ぶものです。
親は怖いけれど、どうなろうと
最終的にはなるようにしかならないと
腹を括るしかないと思っています。
私は、今だって
この気持ちと葛藤することがあります。
つい、自分の安心だと思う方向へ
子どもを導きたくなってしまうのです。
こうやった方がいいんじゃないかな?
こっちを選択してほしいなと
そうなるように仕向けたくなったりする気持ちが
しょっちゅう出てきます。
気がついたら、そこから
離れるようにしています。
どうしても、伝えたい時には
自分はこう思うよというように
自分の意見として言っておくというようにしています。
その結果、どのように子どもが進んでいこうと
もうそれは自分のコントロールするものではないと
諦めるようにしています。
親は子どもの巣立ちの時期からは
子どもに対して身の安全を祈ることしか
できないのかもしれません。
親自身が自分の人生を歩き始めること
子どもとの手綱を緩めること、手放すことが
この親子関係の修復には必要なのかなと思います。
全ては自分の思い通りにならないと
受け入れることで
いろんなことに対して赦せるようになりますし
願い通りになっていることに感謝の気持ちも
湧いてくると思います。
子どもが、健康でいてくれること
一緒に暮らしていること
喧嘩できることだって
ありがたいと感じることができれば
見えてくるものが変わってくるかもしれません。