石鍋てるみです。
今日は、義理父が亡くなって
ちょうど一年目。
朝、義理母とその日のことを
話しました。
この1年間の前半は義理母は体調を崩し
介護4にまでなっていました。
どうして、そうなってしまったのか
今思い出しても全く記憶がないそう。
断片的に、往診があったことや
検査で大きい病院に行ったことは
覚えているものの
ずっと、介護を自宅で受けていた時の記憶は
ほとんどなくて、
夢を見ているようだと言ってました。
私が介護してくれていたと言うことはわかっていて、
『迷惑かけちゃって悪かったね〜』って
感謝してくれています。
介護中の大変だった時の記憶を
消してくれるのかと思うと
ちょっと安心してしまいました。
客観的に介護されている自分を
いつまでも覚えていたら、
そのイメージに心が傷ついて、
辛くなってしまうかもしれません。
オムツを変えてもらうのなんて
絶対嫌だと思っていても、
本当にそれができなくなれば
受け入れられるような
夢の中のような記憶の状態に
なってくれるのかもしれません。
過去の辛い記憶は薄めてくれると言う
自然の配慮があるんだなと思います。
会話の中で
『お父さんが亡くなった時、
私は涙が出なかったのよね。
よく、号泣する場面があるけど、
あんなふうにはならなかった。
なんでだろうね?』
そんなふうに語る義理母。
確かに、亡くなって呼吸器を止め、
点滴も止められて、
私たちはすぐに亡くなったことを
理解した時も
母はまだ語りかけて、励ましてたっけな。
その後も、意外と淡々としていて
少しは涙を見せる時もあったけど
普段とあまり変わらずに過ごしていました。
そして、1ヶ月過ぎようとした頃に
身体に異常が現れました。
自分でも気が付かなかったようですが
身体はしっかり反応していたんだと思います。
そこから数ヶ月、介護が始まり
どうにか、回復の兆しが出てきたのは
初夏でした。
その後も日常生活は、
だんだんと元に戻ってきたかに見えていました。
私も、ほっとしていたこの数ヶ月。
これで、元気が続いてくれればいいなと
思っていたのです。
けれども・・・。
昨日一周忌でこんなお話しを、お坊さんがしてくれました。
一年はあっという間に過ぎたと感じますが、
心の時計はなかなか進まないもの。
まだ、家にただいまって帰ってくるような、
食卓に座っているような気がすることがあるものです。
家の中に、故人の気配を感じてしまう。
心の中の時計はその頃から止まってしまう。
法事には、故人について思いを馳せつつ、
感謝の気持ちを皆さんで感じることができるという
意味もあります。
母はまだ、時計が止まっているのかも。
母の中では、まだ父は亡くなったという実感は
ないのかもしれません。
淡々として見えていたのは、
単に、心の時計が止まっていただけかも。
悲しみを感じる段階にもなっていない
夢の中にいるような、現実を受け止められていない
ふわふわした状況が長く続いているのかもしれません。
私が感じているこの現実の世界とは
まだ違う空間の中で、
心がまだ癒されていない義理母。
この1年私は現実課題を片付けることに
意識が向いていて、
義理母の気持ちをゆっくり見てあげてなかったなと
今朝は反省しました。
まだ、義理父の死も、自分の老いの不安も
受け止めきれない義理母と
もう少し、歩み寄っていきたいと思います。