シンプル育児アドバイザーの石鍋てるみです。
昨日、高齢者との見守りウォーキングで
集まったのですが、あいにく雨が降ってきて
中止となってしまいました。
そこで、ちょっと会話を楽しんでいたら、
いつも、この場所の花壇にお水をあげに
きてくれている保育園帰りの親子が
入ってきました。
『今日も来てくれたの?
でも雨だからお花はお水いっぱいになってるから
あげなくても大丈夫だよ、
ありがとうね』って駐在員が話しかけます。
『うん!』って返事したけど、
中に入ってきて、『会いにきた!』って
駐在員に言っています。
一緒にいた私とも、何回か会っているので、
保育園で、知らない人とは話しちゃいけないと
教えてもらったとか、
敬老の日に渡すお手紙を作ったとか
いろいろ話を聞かせてくれました。
そういえば、この子も3歳だな。
ふっと、静岡県の認定こども園の送迎バスに
3歳の子どもが置き去りにされ
亡くなってしまった事件を思い出しました。
このくらいの可愛い子が、
大人のミスのために亡くなってしまい
本当に、痛ましい事故で、
心苦しくなります。
この件での報道、記者会見の様子から
徐々に真相がわかってきて
子どもを守りきれなかった
大人たちの課題が浮き彫りになってきました。
私は、保護者、園の職員の立場の
両方から考えてみると、
日常の慣れ、多分大丈夫だろうというような
大人の都合のいい解釈が
この事故を招いた状況は容易に想像できます。
客観的に見れば、
高齢者が園児を乗せるバスの運転をしてもいいのか
アプリでの、出欠確認はっ無意味じゃないのか
なぜ、職員は欠席だと判断したのかなど
たくさんのずさんな管理面を指摘するところが
多くて、納得のいかない怒りに
気持ちが打ち震えてしまいます。
会見中に、過呼吸症状になってしまった方々が
たくさんいたように、理不尽な状況で
亡くなってしまった子どもの気持ちを思っただけでも
苦しくなります。
福岡で、以前同じような置き去り事故が
あったにもかかわらず
再び繰り返してしまったことは
本当に残念で仕方ありません。
人間の認知には、ゲシュタルトの法則が働いています。
ある意味、この機能があるから、
いろんなことを、効果的に処理できているともいえます。
いろんな場面でこの法則は
使われているものですが、
人間の認知を無意識に歪ませてしまったり
一つ一つの現象、状況を、
勝手にまとまった一つのことと
思い込んでしまうような認知の法則です。
例えば、
ある保護者が、うっかり子どもの出欠連絡を
忘れてしまいました。
担任は、その日は連絡確認し、
うっかり忘れてしまった状況を理解します。
同じ、お母さんが、
別な日に提出物を忘れてしまいました。
担任は、この前もこのお母さん、
確か出欠連絡も忘れてしまっていたな。
ちょっと、忘れっぽいところがあるのかな?と
理解します。
その後しばらくして、子どもが園にきていません。
担任は、またお母さんきっと
連絡を忘れてしまったんだろう。
(だって、忘れっぽいお母さんだから)
こんな感じで、たまたま重なった状況を
一括りに勝手に理解して、
認知し納得してしまうのです。
それが、個人でなくても、
そういう状況が複数の人がよく起こしてしまう
状況だったとしたら、受け手側は、
初めて、同じことをしてしまった人のケースも
よくあること、珍しくないこととして
一括りにしてしまう。
チェックのミスというものは
こういった認知の重なり、
マンネリ化となった日常の繰り返しの中だからこそ
起こってしまうものなのです。
人は必ずこの法則を持っていて、
知らないうちに思い込んでいる状況が
起こっているとわかっておくことが大事です。
物事に対する偏見、思い込み、
認知の単一化、いつもこうだから、
今日もこうだと決めつけてしまう
生き物なんだとわかっておくと
注意できるようになります。
育児の面でもよくこれは起こります。
子どもが、テストで100点をとった。
次も100点だった。
勝手に、次も100点を取れるはず。
(取れなかったら、怠けているなと感じてしまう)
靴下を脱ぎっぱなしだった。
次の日も脱ぎっぱなし。
毎回注意しているお母さん。
ある日ちゃんと洗濯カゴに入っていた。
(あれ?だれがやってくれたのかな?)
本当は子どもが良い行いをしたのに
褒めてあげることができなかった。
子どもは、自分の頑張りを認めてもらえなかったことで
結局、同じ状況を繰り返すことになった。
こんな感じのことって
よく起こってしまいます。
子どもは、大人の言うことを
しっかり守ろうとして
頑張っています。
バスの中では、おしゃべりしない
後ろの席の人は最後に降りましょう。
大人を信じて、きちんと約束を守りたい
頑張りたいと思っています。
大人は、自分の力を過信することなく、
間違って物を見てしまう未熟な人間なんだと
いつも、謙虚に子どもに接する気持ちを
忘れないで関わっていきたいと思います。