シンプル育児アドバイザーの石鍋てるみです。
今日から6月。
早いもので、もう一年の半分に来てしまいました。
昨夜、義母の血圧を測りながら、
『もう5月も終わるねー』と声をかけると、
『じいさんが死んでから
もう5ヶ月も過ぎたとは思えないよ・・・』
ってしみじみ語りはじめました。
本当に月日が経つのは早いもの。
この5ヶ月の間に、
自分が身体を悪くて、
介護される身になったことや
ひ孫が産まれたり
孫が独り立ちしたりと
たくさんの変化が起こりました。
そして、じいちゃんがいない。
孤独感があるのか、
生活に活気が感じられません。
毎日同じソファーに座ったままで
ほとんどの時間を過ごします。
早く、元気を取り戻してほしいと
願ってはいますが
こればかりは、本人が気持ちを立て直せないと
周りがあれこれ急き立てても
かえって悪循環になる気がして
そっと見守って、今は自分でできることは
自分でやってもらうようにしています。
生きるってどういうことなのか
何度も人の死に直面するたびに
考えてきました。
100%の確率で起こる自分の死。
ここに向かって死の間際まで
生きがいを持って生き抜けたら
幸せだろうなと感じています。
せっかく、今生きているのに
毎日、ただ時間を過ごすだけ、
退屈凌ぎに、テレビを見ても
流れてくる画像を眺めているだけ。
日々の感動が少なく、
援助される側、受け身で生きている感じ。
結構そんな高齢者が多いのです。
本当は、もっとやれること、
役立てることがあるはずなのに
やらない、もうやれないと
引っ込んでしまう高齢者。
人生は限られているのに、
もったいない、まだ生きているんだよって
伝えたくなります。
一方で、100歳近くても、
生き生きと学び続けている高齢者もいます。
自分の年も忘れてしまうくらいに
毎日、新しい学びに夢中になって
楽しんでいる高齢者。
先日、『92歳総務課長の教え』の著者
玉置泰子さんのお話を聞く機会がありました。
本当に知的な方で謙虚。
何よりも勤勉。
まだまだ学ぶことがたくさんあると言って
時間が足りないくらいだそうです。
可愛らしいお声で語られるお話の中に、
時に自分に対しての厳しさもあって、
やはり、こういう年齢の重ね方ができる方は
自分に対して素直で、嘘をつかない
物事を良い方向に捉え直せる力が
とても強い、芯が強い人だという印象を受けました。
自分を諦めない心。探究心。好奇心。
悪いことも、良い方向に転換できる心。
こんな力が、より良く生きていくためには
重要だと教えられた気がします。
私も、こんなふうに自分の軸を持って
生きていける人になりたいなと
とても励まされ、目標ができました。
こういった心の土台は
自分を大事にする気持ち、
みんなに必要とされている
愛されているという
気持ちを持っていることが
何よりも必要だと思います。
高齢になっても
自分が生きている今の時間を
自分らしく楽しむためには
自分に今あるものに気がついて
それを人のために生かすことができるかを
考えることができる自分になっていることが
必要かと思います。
それは、いまの若い人にも
通じることです。
自分のことばかり考えているようでは
いつか生きている理由が
見えなくなくなってしまいます。
あの小さな子どもだって、
人の役に立ちたいと頑張ります。
育児をしているとそんな姿を
見たり感じたりすると思います。
あのように行動するのが、
人間の本来の姿だと思います。
人は人を喜ばせたいのです。
何かを自分が与えることで、
相手から、また与えられる。
その交流の中で、嬉しさや幸せ感が
交換されながら大きくなって
みんなが気持ちよく
幸せになっていくのだと思います。
与えることから幸せな人生は始まる。
私は、親子にとって育児は
この与え合うことが自然とできる
幸せな空間だと思っています。
親ばかりが、与えるのではなく、
子どもも与える側となって
その交流を経験することで
どんどんお互いの幸せ感が膨らんでいきます。
今は、子どもが与える側になる機会が
少ない気がします。
これは、高齢者も同じです。
どうしても、サービスを受ける側、
やってもらう側に設定されることが多いです。
これは、子どもや高齢者の
役割を奪い取り、
やる気や生きがいを奪っていることだと
感じます。
そして、子どもや高齢者が与えてくれたものに
周囲が目を向けていない、
受け取っていないことが多いと思います。
ちょっとした、視線や言葉
笑顔に気がつかない、余裕がない人が
多い気がします。
子どもが、せっかく笑顔を向けたのに、
ママはスマホに夢中なんてことも・・・。
自分が与える側にならない限りは
そして、与えたことがちゃんと
受け取ってもらえられない限りは
幸せ感は得られないと思います。
人に喜ばれることをやったことで
自分も嬉しいと感じられるような
実体験をいっぱい体験してほしいと思いながら
子どもに関わっていこうと思っています。
子どもが人生を自分らしく生き抜くために
必要な感覚だと思うからです。