石鍋てるみです。
いいお天気になりました。
外からは、運動会の練習なのか
音楽とホイッスルの音が響いています。
今月は、あちらこちらで
運動会が行われているので
平日も賑やかです。
昨夜は、子どもの保育園の担任だった保育士と
20年以上ぶりに食事をしました。
昨年、保育研修で再会したのをきっかけに
一度ゆっくり食事でもしようと
声かけていたものの実現できず。
今年に入って再び思い出し
連絡したところ、1ヶ月以上前から
日程調整して、やっと実現しました。
彼女は仕事も忙しいのに加えて
休日は親の介護を行っていて
昨年は、休める時間がなかったそう。
今年は、親が施設に入ったということで
少しは自分の時間が
取れるようになったようでした。
けれども、親を施設に入れたことや
遠方のため見舞いに行けないことに対して
罪悪感を抱いているようでした。
彼女自身、定年を目の前に
今まで積み上げてきた
キャリアを捨てることもできず
このままでは、親に対しての自分の行動を
後悔するに違いないとわかっているのに
身動きが取れないという状況に
育児と介護のダブルケアでは
同じような悩みを持つ人は
多いと思います。
自分がお世話ができないのだから
介護サービスを利用するしかないのですが
そのサービスを使うことに罪悪感を感じる。
他人に任せて本当に大丈夫かと心配になる。
さらに、利用者本人が希望していないとなると
さらに身内の気持ちは複雑になります。
私の知人で認知症の親が
施設に行きたくないと拒んでいるのに
騙すようにして施設に入れてしまった人がいました。
ちょうど、コロナの流行時期だったこともあり
面会も制限されていたことで
仕事と育児で精一杯の彼女には
ある意味、介護の負担が軽減されたことは
都合がいいと思っていたそうです。
けれど親が施設内で亡くなったあと
ものすごく後悔していると
その後何年もその罪悪感から抜け出せずに
話すたびに泣いている方もいました。
私は家族が介護問題で悩んでいる様子を
仕事柄よく目にしてきましたから
自分は、ピンコロで死んでいきたいという
強い希望を持っています。
延命治療もしたくないし
「誰が介護する?」なんて子供達に悩んでほしくない。
「もしもボケちゃったらさっさと、
施設に入れちゃって」なんて
今は子供達にも言っていますが
本当にそうなってみたら、
施設なんか嫌だ、お家に居たいって
騒ぐかもしれません。
死ぬ間際に、管理下に置かれ
自由がなくなるなんて
耐えられないかもって
考えてしまいます。
死ぬ前くらい、
好きなものを飲んで食べて
好きな時に起きて寝て、
好きな人と時間を過ごしたい。
健康寿命をいかに伸ばすかは
長寿大国になった日本での課題です。
生き様が死に様。
この言葉は本当にその通りって
思っています。
自分の人生の最後を
どのように迎えたいかは
ほぼ希望通りにはいかないものですが
周囲の人とのつながりが
暖かい関係の中で最後を迎えたいです。
人にも自分にも
優しく過ごしていきたいです。