シンプル育児アドバイザーの石鍋てるみです
先日、車を運転中に、
横断歩道を渡る親子を見かけた時のことです。
ベビーカーに赤ちゃんを載せ、
2歳くらいの子どもの手をつないで
大通りを渡ろうとしていました。
半分に差し掛かったころ
信号が点滅を始め、
少し慌ててしまったのか、
お母さんが手を引っ張ったら、
2歳の子が転倒してしまいました。
お母さんは、片手でその子を抱え上げ
片手はべビーカーを押しながら
渡り切ったときには、
既に、信号機は赤になっていて
右折してきた車が
数台止められた状態になっています。
何だか、申し訳なさそうな顔をして
運転手に向かって頭を下げてます。
そういえば、こんなこと
私にもあったな。
あの時は、子どもの靴が
横断歩道の途中で脱げてしまって
ベビーカーを押しながら、
靴を拾って、慌てて抱きあげて
やはり、信号はすでに赤になっていたっけ。
ずいぶん前のことで
忘れてしまっていました。
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また、近所を祖母と一緒に
散歩に出た時のことです。
いつも何気に渡っている
横断歩道なのですが、
実際に高齢者と渡ってみると、
やはり、三分の一位のところで
点滅が始まって焦ってしまいました。
世の中の信号は、
高齢者や、小さい子どもには
時間が短いものだなと感じました。
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右利きの人用に都合のいいように
できていることでもわかるように
世の中は、普通の大多数の人に合わせて
普通の人が都合のいいように
システム化されています。
そこに、上手く則っとれないと
その人が悪いことをしている
変だという気になってしまう社会です。
障害はこんな風にできあがるものです。
左利きだったり、
横断歩道を素早く渡りきれない人が
悪いわけではありません。
横断歩道一つでも中間に、
安全地帯を堂々と設けてくれたら
歩行者も、運転者も気兼ねなく安全に、
気持ちよく使えるかもしれません。
もちろん、一緒に渡る人が、
手を貸せたらもっといいと思いますが
自分のペースややり方でも
自分でできることが増えれば、
そこに障害は感じません。
わが身にならないと
日常の不便さには気がつきません。
私のようにのど元過ぎれば
忘れてしまうことも多いです。
気がついても、それは少数派の意見で
自分が我慢すればいいんだという
気持ちにもなりがちです。
育児中では、それまで気づかなかったことに
不便さを感じることが見えてきます。
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赤ちゃんのオムツ替えや授乳の場所が、
男性トイレにも作られたりというのも
そういった声が集まったから
今では当たり前の光景になってきたと思います。
音に過敏性があって
スーパーの音楽や放送が苦痛だという意見から、
店内の音を制限する時間を
設けているところもあります。
不便だなと感じたら、
その事をみんなが解決しようとすれば
助かる人も増えると思います。
地域によって、そんな住民の気づきを
取り上げてくれる窓口を
設置している自治体があります。
小さな気づきでも伝えていくことで
社会をよくすることができるかもしれません。
それぞれの立場からしか見えないことは
あるものです。
『ここに、こんなのが欲しいな』とか、
『ここがこうだったらいいのに』という
気づきは、忘れないうちに発信していくことが
将来役立つことだと思って行動したいと思います。